◆ 我が家の愛犬ケンケンの想い出
私たち夫婦には、白い愛犬がいます。
いました・・・ ついさっきまで・・・
14年間、ずっと一緒に暮らしてきました。
同じ飛行機に乗って、一緒にカナダに移住してきた愛犬です。
ケンケンと言います。
14年間、生きてくれました。
飼い主に愛された犬はたくさんいると思います。
ケンケンもそうでした。
でも、ケンケンほど、たくさんの人たちに出逢うことができた犬はいないと思います。
そして、たくさんの出逢った人たちから可愛がられていました。
こんなに、たくさんの人たちから愛された犬は、ケンケンだけだと思います。
ケンケンを可愛がって下さった皆様へ
きっと、ケンケンは
「ボクのこと、忘れないでよー」 と思っているはずです。
だから、私たちはケンケンの今までを、みなさんにご紹介したいと思います。
カナダ時間1月7日午後9時
ケンケンは永眠しました。
私と妻が、最後を看取りました。
最後の別れを、一緒に過ごせたことは、私たちにとって最高の幸せだったと思います。
ケンケンもそうだったはずです。
私と妻、4本の手、20本の指で、
ずっとケンケンの体をさすり続けました。
もともと胃腸が弱く、5年くらい前から嘔吐することがありました。
医者の診断で、腹部に腫瘍があることが分かりました。
でも、体調管理を整えれば長生きできるということを知り、
妻は食事や散歩に気を遣いつづけてくれました。
私はしょっちゅう日本に行きますが、妻は一度も日本に戻っていません。
ただの1日でもケンケンと離れるくらいなら、日本に帰らない!という言葉通り、
妻は今日の今日まで一度も日本に戻っていませんでした。
妻の献身的な支えで、たまに元気が無い時があったものの、
年齢以上に元気でした。
元気でした・・・
12月中旬(まだ1ヶ月前です・・・)、いつものように散歩をしている時も、
ぐいぐいと凄い力で引っ張っていくんです。
食欲も旺盛で元気、元気。
そのケンケンが、具合が急に悪くなり始めたのは、クリスマス頃でした。
食欲がだんだんと細り、嘔吐の回数が多くなりました。
ケンケンは、すごく回りに気を遣う性格です。
嘔吐をするとき、床を汚してはダメだと思うんでしょうね・・・
具合悪そうに玄関まで行って、玄関のタイルの上で吐いていました。
その方が、掃除で迷惑がかからないから・・・ と。
いつも嘔吐の後、すまなそうな顔をして私たちを見るんです・・・
どんどん症状が悪くなるので、病院に連れて行きました。
末期の癌だと言われました。
私も妻も腫瘍があることは、とっくに知っていました。
でも、まだまだ元気!
14歳、15歳、16歳、17歳・・・って、長生きしてもらえると信じていました。
ほんとに元気だったんです・・・ つい一ヶ月前までは、すごく元気だったのに・・・
1月7日。
自力歩行も困難な状態が続いていたので、抱きかかえてエレベーターに乗り、
外に連れ出しました。
ケンケンは散歩が大好きですから。
でも、もう歩けませんでした・・・
歩道の横の芝生の上で、立っているのが精一杯という感じでした。
オシッコはしました。
でも、3日前までは、お水だけはたくさん飲んでくれていたのに、
今日はお水も飲まなくなってしまいました。
午後3時から、ケンケンの苦しい状態が続きました。
表情が見るからに昏睡状態なのです。
目を見開いたまま、瞬きをしてくれません・・・
午後6時。
激しい痙攣が起こりました。
もう、ダメなのか・・・
そう覚悟したとき、ケンケンが水のようなウンコを排泄しました。
消化器官がもう働いていなかったのでしょう。
ウンコらしいウンコは、もう10日以上もしていませんでした。
ウンコを排泄した直後、ケンケンが元気になりました!
きっと、腸内の異物を排泄したので、これで楽になれると思いました。
ケンケンがいつもの表情に戻りました!
瞬きをします!
ぱち、ぱち、ぱち、と、だんだん瞬きの回数が増えていきました。
「もうこれで大丈夫!」
私と妻は、ケンケンの体をできるだけ優しく摩りつづけました。
ケンケンの表情は穏やかでした。
「元気になれるよ!ケンケン!」
「早く元気になって、またたくさん散歩しよう!」
「美味しいものを食べよう!」
ケンケンは嬉しそうでした。
でも、穏やかなケンケンの表情は、30分後に再び苦しそうな顔になってしまいました。
午後9時。
「くぅーん」
「くぅーん」
「くぅーん」
と、息遣いが荒くなって、苦しい表情が続き・・・
そして、ケンケンは息を引き取りました。
ありがとうね、ケンケン・・・
ごめんね、ケンケン・・・
もっとたくさん、いろいろなところへ連れて行ってあげれば良かった・・・
もっと早く、お腹の痛みを分かってあげれば良かった・・・
ごめんね、ケンケン・・・・・・・・・・
ケンケンは、今、一番好きだった毛布にくるまっています。
私の後のいつもの場所で。
普通に寝ているようです。
穏やかな良い顔をしてます。
今まで本当にありがとうね、ケンケン!
2011年1月7日 バンクーバーの自宅にて
この写真は、2005年8月に、ケンケンを可愛がって下さっていた
茨城県つくば市から我が家に来られたF様ご家族が撮影してくださいました。
ケンケンの写真はたくさんあります。
一番キレイで美人に撮影されている写真が、この一枚です。
ケンケンらしさがすごく良く写っているよ!ということで、妻の一番のお気に入り写真です。
ケンケンは雑種です。
長野県の私の田舎(長野県千曲市)の生まれです。
散歩をしていると、カナダ人の人たちから数え切れないほど声を掛けられました。
「この犬は何の種類?」
「雑種ですよ」
「え? まさか!」
という具合に、カナダ人は皆さんビックリするんです。
カナダ人の方から多く聞かれるのは、
「スピッツの毛が短いタイプなの?」
「アメリカンエスキモーなの?」
という言葉です。
でも違うんです。
長野県の雑種なのです。
でも、雑種でも血統が良いのだと思います。
ケンケンは、すごく美人(メス)なんです。
まん丸の黒い目で、じーーーーーっと見つめてきます。
毛並みはふさふさで、特に首周りなんか、正面からみたら
ライオンのたてがみの首バージョン?というくらい、
それはそれは見事なんですよ。
ケンケンがカナダで過ごした12年間に、本当にたくさんの
日本人の方々がケンケンに会ってくださいました。
平均すると年間70名の日本人の方が、わざわざ日本から来てくださいましたから、
ざっと、延べ800名近い方々がケンケンを可愛がってくださったのです。
犬好きの方がとても多かったですから、
ケンケンが雑種だと知ると、皆さん驚かれていました。
「キレイな毛並みですね」
「ケンケンはとっても美人ですね」
って。
見た目だけじゃないんです。
ケンケンはとにかく頭が良い犬で、そしてすごく気を遣うんです。
我が家にお客さんが来られる場合は、到着1~2分前に私が妻に電話を入れます。
妻は、ケンケンに向かって、
「ケンケン!お客さん来るよ!」
と言うと、完璧に理解するんです。
我が家の玄関扉が開くと、ケンケンがお客さんを出迎えます。
でも、ぜったいにジャレついたり、お客さんの足や脛に飛びついたりしません。
微妙な距離、2メートルくらいでしょうか、その距離を上手に保って
尻尾を振って、でも絶対に吼えません。
お客さんにストレスを与えない距離感や態度を保って、
上品に迎えるので、まるで旅館の名物女将のようなのです。
この態度が本当に見事で!
お客さんは、ケンケン初対面で、もうすっかりファンになってしまうんです。
ケンケンは、私と妻の仕事を本当によく理解してくれていました。
ケンケンも、立派な営業マンだったんです。
いえ・・・ そうじゃない・・・んです・・・
ケンケンが居なくなって、私たちは初めて知りました。
私たちはケンケンの仕事に対する成果のおかげで
これまで、それらしく仕事ができてきたのだと気が付きました。
ケンケンは、我が家の福の神だったんです。
本当に凄い福の神でした・・・
よく、お客さんが、
「ケンケンは気品がありますね」 とおっしゃられました。
本当にそうなのです。
品があって、すごくキレイ好きなのです。
オシッコ、ウンコは、絶対に室内でしません。
必ず、散歩に出たときに野外でします。
そして、いつも妻がウンコを回収します。
もう14年も、こうしたことをしてきたんですが、
どうしても耐えられなくて、家の中でしてしまったことは、
私たちが記憶している限りでは、2回だけです。
たった2回だけ。
それは、たまたま私たちが長時間、家を留守にしてしまって、
いつもの散歩の時間から大幅に遅れて帰宅したときでした。
あのときのケンケン
ものすごく申し訳なさそうな、
すまなさそうな、
ゴメンナサイって言っているような、
しょんぼりした表情だったんです。
「良いの!良いの! ケンケンは悪くないの!」
私たちは絶対にケンケンを叱りませんでした。
ケンケンも、その期待に応えようとするんです。
だから、家の中では絶対に、オシッコ、ウンコはしないのです。
1~2ヶ月に1回の割合でシャワーを浴びさせていました。
もともと、キレイ好きのケンケンですから、いつもピカピカの美人さんでした。
ケンケンは、昨晩1月7日に永眠したときも、
本当に本当に本当に、キレイなままでした。
ケンケンは、最後の最後まで、気品があって、キレイで・・・
ぜったいに私たちに迷惑を掛けないからね!って言っているようでした。
この写真は、2005年10月20日に撮影しました。
当時住んでいたBC州ケロウナ市の ミッションクリークパークです。
とっても良いアングルで撮影できた私のお気に入りの一枚です。
ケンケンは、散歩が大好きな犬です。
でも、毎日決まった散歩のコースよりも、もっと好きな場所があります。
ケンケンは、その場所まで車で行くことが大好きなのです。
とにかく車に乗ることが大好きで大好きで。
秋晴れが続く季節になると、私たちはこの写真の場所にケンケンを連れて行きました。
車で10分ほどのところにある、ミッション・クリーク・パークという自然公園です。
川が流れ、その両岸はご覧のように遊歩道になっています。
「ケンケン! ミッション・クリーク・パークに行こうか?」
妻のその言葉に、ケンケンは耳をピンッと立てて反応します。
「また行くのかぁ・・・?」
と、いつも私は少々、面倒に感じることが多かったのです。
ケンケンを車に乗せると、車内にケンケンの毛が残ります。
仕事柄、お客さんを車に乗せることが多かったため、
その後の掃除が大変なのです・・・
だから、私はいつも 「面倒だなあ・・・」という気持ちになっていました。
そんな私を誘うように、ケンケンはいつも以上に尻尾を振ります。
その表情は、とても嬉しそう!楽しそう!なのです。
その顔を見たら、私の重い腰も上がるんですよね。
ケンケンは、記憶力と方向感覚がすごく優れている賢い犬でした。
車に乗って、どちらに向かうのか?
それによって、行き先を敏感に理解します。
ミッション・クリーク・パークに行くんだ!と分かったときには、
それはそれは、嬉しそうで・・・
公園内の駐車場に車を止め、ドアを開けると、
ぴょーーーん!と大きくジャンプして、飛び出します。
妻は、引きずられるようにケンケンに引っ張られていきます。
これも、毎度毎度の光景でした。
秋になると、この公園の木々は一斉に色づき始めます。
カナダ西部の自生樹は、紅葉にならずに、黄葉になります。
ですから、見渡す限り、黄金色に染まる景色になるのです。
黄金色に染められた遊歩道を、ずんずん、ずんずんと歩くケンケン。
このときのケンケンは、9歳だったんですよね・・・
壮年期が終わろうとする年頃でしたけど、まだまだ青年と同じでした。
とにかく散歩が大好きで、良く歩きました。
ケンケンが車に乗って出かける散歩コースはいくつかありました。
その中で、一番気に入っていた場所が、
この ミッション・クリーク・パーク だったと思います。
夏は暑くて、行きませんでしたが、
毎年秋になると、黄葉が終わるまで、何度か通った思い出の場所です。
2009年7月。
私たちとケンケンは、10年間住み続けたケロウナ市から
バンクーバーに引っ越しました。
「バンクーバーにも、たくさんの公園があるよ!」
「ケンケンのお気に入りの公園をバンクーバーで見つけよう!」
そう言って、私たちとケンケンはバンクーバーに移り住みました。
でも、ケンケンは最初から少し寂しげでした。
「やっぱり、ミッション・クリーク・パークが好きなんだなあ・・・」
「それじゃ、また来よう!バンクーバーから遊びに来ればいいよ!」
ケロウナとバンクーバーの距離は、車で片道4時間半ほどです。
車に乗ることが大好きなケンケンにとってみれば、
この距離を往復するのは、楽しいドライブ旅行そのものです。
「よーし! 落ち着いたらケロウナにドライブに行こう!」
「またミッション・クリーク・パークを歩こう!」
そう言っていたのに・・・
ケンケンもその約束を楽しみにしていたはずなのに・・・
もう二度と、ケンケンと一緒にこの公園を歩けないなんて・・・
こんな日が来るなんて、ちっとも考えたことが無かった・・・
この写真は、2002年12月にケロウナの自宅で撮影しました。
12月の間は、窓の内側に小さなイルミネーションライトを飾り付けていました。
私たちとケンケンは、1999年3月にカナダに移住し、10年間ケロウナで暮らしました。
2000年8月から2009年7月まで、住んでいた当時の自宅は、オカナガン湖畔に
建つレイクサイドのコンドミニアムでした。
2ベッドルーム2フルバスルームのコンドミニアムは、私たちにとって十分すぎる広さでした。
9年間この家で暮らしていたので、今でも当時の生活を思い出します。
リビングルームには、革の白いソファーを置いていましたが、ケンケンはこのソファが大好きでした。
2人掛け用のソファと、3人掛け用のソファがあり、ケンケンは3人掛け用のソファが好きでした。
ぴょーーーんっ!と飛び乗っては、まるでこのソファは自分のものだよ!
という感じで、広々と体を伸ばしていました。
私と妻が揃って外出し、留守番をしているケンケンが待つ家の扉を開けると、
正面玄関からまっすく奥に白いソファが置いてあるリビングルームを見通せます。
ちょうど、この写真のようにです。
ケンケンは、私たちが帰宅すると、ドアを開ける音に気が付きます。
それまで伸び伸びと寝ていたのでしょうけれども、
「ちゃんと起きてたよ!」
という感じで、ご覧のようにソファの上に座って、私たちを迎えてくれるのです。
ソファの色とケンケンの体の色が同じなので、まるで保護色のようです。
ソファの色にマッチしすぎているので、丸くて大きな黒い目がすごく目立つんです。
いつも、帰宅するとソファの上から、こんな風に私たちを見て、
「ケンケン、ただいま!」
と言うと、ソファの上からジャンプして一目散に私たちの近くに来てくれました。
9年間住んでいた家ですからね。
思い出が一杯あるんです。
この写真は、2006年9月10日に撮影しました。
私たちとケンケンが、2000年8月から2009年7月まで丸9年間を暮らした家が、この写真のコンドミニアムです。
ケロウナのダウンタウンのオカナガン湖畔沿いに建つコンドミニアムです。
毎日の散歩に行くとき、部屋の玄関を出て、エレベーターで1階に降り、
建物を出ると、オカナガン湖畔公園に通じる広場に出ます。
ケロウナの春の訪れは早くて、3月になるとあたりはすっかり春模様になります。
春も夏もキレイで、秋になると空の青さが一段と透明感を増してきます。
ケンケンはこの公園の芝の上が大好きでした。
まるで自分の庭のように、来る日も来る日も楽しんでいました。
草花が色づき始めると、あたりは絵葉書のようにキレイな景色に変わります。
毎日、同じように散歩して、ケンケンと当たり前のように暮らしていた日々。
今、振り返ると、とても貴重で平和で幸せだったなあ・・・ って思います。
自宅をバックに、ケンケンが大好きだった芝の上での記念撮影です。
この写真は、1997年3月 に撮影した写真をスキャンしたものです。
ケンケンが生後5ヶ月くらいでしょうか。
ケンケンが我家の家族になって3ヶ月くらいのときです。
このとき、所用で群馬県の高崎に行く用事があり、ケンケンもいっしょに連れて行ったんです。
ケンケンは小さい子犬でしたから、いつも私が片手でヒョイッと抱えて
問答無用で車に乗せてしまいます。
ケンケンは車に乗ると、いつもいつも不安そうでした。
この写真でも分かるように、助手席の妻の膝の当たりで、不安気な表情を見せています。
車に乗ると、ケンケンが不安になってしまうのには理由がありました。
私たちにケンケンを授けてくれた、ご近所のKさん。
そのKさんの家で、ケンケンは生まれたのです。
Kさんは、自宅の犬(ケンケンの親)が生んだ仔犬たちをダンボールに入れ、
車のトランクに乗せて、知り合いを訊ねまわっていたのです。
「誰か~ 犬いらない~?」
って、でも、すぐに貰い手が決まるわけがありません。
その日、貰い手が見つからなければ、ケンケンは他の兄弟たちといっしょに
Kさんの家に連れ戻されました。
そして、翌日また段ボール箱に入れられ、車のトランクに乗せられていく・・・
そしてまた、貰い手が見つからずに帰宅し、また翌日車に乗せられて・・・
こんなことを何度も繰り返したんでしょうね・・・
それでケンケンは、すっかり車に乗せられることに
恐怖と寂しさを覚えるようになったのだろうと思います。
ケンケンが我家の家族になったその日から、ケンケンはすごく幸せそうでした。
私の横でいっしょに寝転がってテレビを見て、寝るときも同じ布団でいっしょに寝ていました。
ケンケンはすごく幸せだったんです。
ところが、車に乗せられると、すごく不安になるんです。
「どうして? ボクは捨てられちゃうの?」
「どうして? ボクは邪魔なの? もう要らないの?」
「お家に帰りたい! ねえ、帰ろうよ・・・」
いつも、そんな表情で私を見つめてきました。
「大丈夫!ケンケン。今日はドライブだよ!」
そう言って、私はケンケンを出来るだけ車に乗せるようにしました。
当時、私は冬のシーズンは週に2日間、スキー場に営業に行っていました。
勤務先の店からスキー場まで、車で片道2時間半ほどでした。
店を出ると、自宅に戻り、ケンケンを片手で抱き上げました。
「さあ!行くよ。今日はスキー場だよ」
私は助手席にケンケンを乗せてスキー場に向かいました。
ケンケンを車に乗せる回数をできるだけ多くしたせいで、
いつの頃からか、ケンケンは車に乗っても不安な表情をしなくなりました。
車に乗っても、必ず家に帰れるんだ!
ボクは家族として迎えられているんだ!
という安心感があったんでしょうね。
それからのケンケンは、車に乗るのが大好きになったんです。
とにかく車が大好き!
ドライブが大好き!
車に乗るときは、分かるんです。
「ケンケン! 今日はドライブだよ! 車に乗るよ!」
と言うと、本当に分かるんですよね。
この写真は、2001年12月に撮影した写真です。
つい、この前のことのように思い出されます。
この写真、私とケンケンですけれど、
なんかとても癒されるんですよね。
そんなケンケンが、我が家の家族になった経緯をご紹介します。
実はケンケンは、メスなのです。
「えっ? ケンケンだからオスだと思っていました」
そう言わることは、数え切れないほどありました。
そうです、ケンケンはメスなのです。
それでは、どうしてメスなのに ケンケン なのか?
それは、私がケンケンと最初に出逢ったときの
ちょっとしたエピソードが原因なのです。
1997年1月初旬。
場所は長野県千曲市です。
当時、私が勤務していた会社に、知り合いの叔父さんがやってきました。
この叔父さんは、親戚じゃないのですが、不思議なご縁のある方です。
Kさんと言います。
私の祖母と、Kさんのお母様は、旧制女学校時代からの大親友です。
私の祖母はまだ健全で92歳になります。
Kさんのお母様は数年前に他界されました。
祖母に育てられた私は、Kさんのお母様に、物心ついた頃から
とても可愛がって頂いてました。
祖母の時代から深いお付き合いをさせていただいているのが
Kさんご家族です。
そのKさんが、1997年の正月明け早々に私を訪ねてきたのです。
「ねえ、修ちゃーん」
と、良い年したおっさんが、ちょっとニヤけた表情で私の顔色を伺ってきました。
「どうしたんですか? Kさん」
「ねえ、修ちゃん・・・ あのさー、犬要らない?」
「犬? 犬ですか?」
私はすぐに断りました。
私は犬は大好きです。
一度、飼ってみたい!と思っていました。
それは小学校の頃からの夢でした。
でも、その当時、狭い小さなアパートに妻と二人で暮らしていましたので、
面倒は見れるのだろうか? という疑問がすぐに頭の中をよぎりました。
私と妻は仕事をしていましたから、日中はアパートを留守にしてしまいます。
それに、アパートはペット禁止という厳しいルールがありました。
ですから、犬が好きな私でも、飼うことはできませんでした。
私は、Kさんに事情を話して断りました。
「まあ、そう言わずにさ、ちょっと見るだけ見てよ!」
「見るだけですよ、飼いませんからね!」
Kさんの後について、駐車場に向かいました。
Kさんは、トランクを開けました。
すると・・・
トランクの中に、段ボール箱があり、その中に4匹の子犬がいたのです。
「どうしたんですか? この仔犬たちは?」
「いやあ・・・ 家の犬が産んじゃってさー」
私は、茶色の仔犬に手を伸ばしました。
茶色の仔犬は、私を怖がっているのか、嫌がっているのか、
私の手から逃れようと必死でした。
私は、茶色の仔犬を諦め、隣の黒い仔犬に手を伸ばしました。
しかし、結果は同じでした。
次に、その隣の白と茶色のブチの仔犬に手を伸ばしました。
しかし、結果はやはり同じでした。
残りは、白い仔犬です。
「白い体は、汚れが目立つからなあ・・・」
私は、ほとんど興味を失いながらも、白い仔犬に視線を移しました。
白い仔犬は、黒く丸い目で、じーーーーーーーーーーーーーっと
私を見上げていました。
「んっ?」
この白い仔犬は、私を怖がっていないのだろうか?
私は何気なく手を伸ばしました。
白い仔犬は全く抵抗せず、まったく自然に私の両手の中に納まったのです。
でも、飼うことにはためらいがありました・・・
責任を持って面度を見られるのだろうか? という不安です。
「やっぱりダメですよ、私には飼えないですよ」
私は事情をKさんに説明しました。
「そっかーー。じゃ、しょうがないな。処分するか・・・」
「えっ? 処分って・・・」
「仕方ないよねー。家じゃこんなに飼えないからねえ・・・」
私は背筋がゾッとしました。
もちろん、これはKさんの作戦だったということは後で分かりました。
私は覚悟を決めました。
「この白をください!」
Kさんは、にんまりと笑いながら、
「修ちゃーん、一番良い犬を選んだねえ」
「本当ですか?」
「ああ、本当だよ。そいつは大人しいからね。良い犬だよ」
「大人しくて良い犬なんですか?」
「ああ、そうだよ。吼えないからね」
「吼えない犬なんですか?」
「ああ、そうだよ。賢いよ」
「賢いんですか?」
「ああ、とっても賢いよ」
Kさんのにんまり度は、ゆっくりでしたが、その表情に深く表れてきました。
Kさんは、もう一押しだ!と思ったのでしょう。
「Kさん、私はオス犬なら、飼っても良いかな? って思うんですが・・・」
「そうだねー。メス犬は子供を生むから大変だしねえ」
「この白い仔犬はオスですか?メスですか?」
「そいつはオスだよー」
「オスですか?」
「そうだよー。オスだよー」
「そうか・・・ この子はオスなのか・・・」
「そうだよー。オスだよー」
私は、白い仔犬の股間を確かめました。
「修ちゃーん、仔犬の股間を見ても判断は難しいよー」
「Kさんは、分かるんですか?」
「分かるよー。そいつはオスだよー」
「そうですか。オス犬かぁ・・・」
「そうだよー。オスだよー」
「賢くて大人しくて吼えないんですよね?」
「そうだよー。賢くて大人しくて吼えないオスだよー」
そして私は、Kさんを信じて、白い仔犬を貰うことに決めました。
段ボールの中に入った白い仔犬と対面してから、わずか10分ほどの出来事でした。
それから、数ヵ月後。
私と妻は、我が家の子になった白い仔犬を動物病院に連れて行きました。
仔犬の検診のためでした。
獣医さんが、慣れた手つきで白い仔犬の身体を丁寧に診察してくれました。
「大丈夫!健康でしっかりしたメス犬です!」
「メメメメメメメメメ、メスーーーーーーー?」
私は仰天しました。
Kさん! 話が違うじゃないですか!
もう、名前も決めてしまったんですよ!
ケンケン って・・・・
今さら、名前を変えるのも嫌だしなあ・・・
というワケで、ケンケンはメス犬なのです。
でも、Kさんの言ったことに嘘はありませんでした。
雌雄の別を除いた、他のことは全てその通りでした。
大人しく、賢く、吼えない、というのは全くその通りだったのです。
こうして、私たちは生後3ヶ月のケンケンと出会い、この日から
我が家の家族として一緒に暮らすことになったのです。
1997年1月初旬に、ケンケンは私たちの家族になったのです。
この写真は、2006年10月23日に撮影しました。
ケロウナ市内にあるミッションクリークパークという公園です。
ケロウナに住んでいた10年間、毎日の散歩は、家の前の湖畔公園でした。
この公園もとてもキレイな場所なのですが、毎日の散歩コースなので、
ケンケンは飽きてくると、あまり歩かなくなりました。
そんなときはケンケンが大好きな車に乗って、少し離れた場所まで行くのです。
ケンケンが一番好きだった公園が、ミッションクリークパークという公園でした。
雪解けの水を運ぶミッション川が、オカナガン湖に繋がっています。
この川の両岸は、犬を自由に連れて歩ける遊歩道公園になっています。
カナダの紅葉は世界的に有名ですが、それは大陸の東側です。
ケベック州ローレンシャン地方は、樹々が紅く染まるのですが、
私たちが住む大陸の西側は、紅く染まりません。
自生樹は、黄色になります。
紅葉ではなく、黄葉なのです。
これがまた見事で、一面黄金色に染まる風景は文字通り圧巻です。
10月なると、私たちはケンケンを連れて、よくこの公園に行きました。
真っ青な空に、黄金色の樹々・・・
カナダの秋の大自然を味わえます。
ケンケンは嬉しくて嬉しくて、とにかく良く歩くんです。
そして、家に戻ると、満足しきったかのように、爆睡してしまうんです。
「ケンケン、待て!」
「ケンケン、座って!」
と言って、黄金色の中のケンケンを撮影した写真です。
「ケンケン、こっち向いて!」
って、何回叫んだことでしょうか・・・
そして、撮影した写真を見て、
「うわ! これは良い!」
って、私が自画自賛する一枚です。
ケンケンと最期にこの秋の公園を歩いたのは2008年です。
2009年の夏からはバンクーバーで生活をスタートしましたから、
ほんの2年ちょっと前までは、毎年、この公園に来ていたんですね・・・
この写真は、2006年10月7日に撮影しました。
ケンケンの散歩コースの中で、一番長く親しんだ場所です。
写真の後ろに3つの高層コンドミニアムが見えます。
右のコンドミニアムに私たちとケンケンの家がありました。
2000年8月から2009年7月まで住んでいましたので、
ちょうど丸9年間、暮らしていた家です。
家を出ると、湖畔公園の入り口が目の前でした。
迷うことなく、それがいつものお散歩コースの始まりであり、
何も変わらない日常の散歩でした。
雨の日も、雪の日も、風が冷たい日も、いつもここを歩いていました。
2006年当時、私と妻は対人関係で随分と辛い目にあっていました。
毎日のように辛いことが続いていました。
でも、そんなときも、いつもと変わらず私たちにはケンケンがいてくれました。
当たり前のように、そして何も変わらず普通にケンケンは私たちに接してくれていました。
ケンケンと普通に暮らせる生活が、どれほど幸せなものなのだろうか!
ということを、そのときに強く感じたことを今でも良く覚えています。
あのころ、いつもよりも長く散歩を楽しみましたし、
できるだけケンケンと一緒の時間を作ろうと思いました。
ですから、2006年に撮影したケンケンの写真は、他のどの年よりも
枚数が多く、良い写真が多いのです。
これまで撮影してきたケンケンの写真を、改めて見てみますと、
そんなことに気が付いたりします。
この写真を見ると、本当につい数日前のような気がします。
いや、明日の朝、いつもとおりの散歩に行くことができそうな気もします。
改めて、ケロウナで暮らして、この場所を毎日当たり前のように
ケンケンと散歩をしていた時が、どれほど幸せだったことか・・・って思います。
ケンケンもこの公園が大好きでした。
いつでも好きなように芝生の上を走ることができました。
冬になると、雪が積もり、その上を駆け回ることも大好きでした。
私たちとケンケンが、数え切れないほど楽しませてもらった
散歩コースが、この写真の公園です。
この写真は、2006年7月11日に当時のケロウナの自宅で撮影した写真です。
いつも帰宅して玄関のドアを開けると、必ずケンケンが出迎えてくれました。
たまに、出迎えが無いときは、寝入っている最中でしたけれど、
「けーーーーーんけーーーーーーん!」 と呼ぶと、
遅れてゴメンなさい・・・
と、ちょっとバツが悪そうな表情で顔を見せてくれます。
そんな日常が当たり前だったんです。
2006年という年は、とても辛い年でした。
この年の春以降、私たちには嫌なことが相次ぎました。
その辛いことは、3年ほど続いたのですが、もっとも嫌なことがあったのが、2006年の夏でした。
私は精神的にかなり参っていました。
妻と二人で頭を抱える日が毎日続いていました。
そんなとき、妻が言ったのです・・・
「でも、ケンケンがこうして元気でいてくれれば、他に何も要らない・・・」
私は、はっ!と気が付きました。
そうだ!確かにそうだ!
ケンケンが元気で、いつも私たちと一緒にいてくれるんだから、
それだけで幸せじゃないか!って。
そう思ったら、ケンケンの存在がどれほど有難いものなのか、
深く強く実感できたのです。
私は家にいるときは、パソコンに向かって仕事を長時間続けるのが日課ですから、
後ろを振り向くと、必ずケンケンがいてくれるのですが、
そのケンケンを撫でたりする時間は極端に短かったように思います。
でも、2006年の辛い時期、ケンケンは私たちに元気がないことを察知して
一生懸命励まそうとしてくれました。
私がソファに座ると、すかさず私の横に、ぴょっんっ!と飛び乗ってきました。
その時、必ずぬいぐるみを咥えているんです。
ケンケンにとって、それは私に対しての手土産とかプレゼントの意味なのです。
「ケンケン、ありがとうね!」 と言うと、
プレゼントを気に入ってもらえたと感じるのでしょうね。
いつもは、ぴんっ!と立派に立っている耳を、ぴたっと下げて、
私に最大限の敬意を払いながら、
そして、私を心配して、気遣いながら、
一生懸命に私の目を見つめてくるんです。
大きくて黒い丸い目で・・・
この時期、辛かった時期に、ケンケンにどれほど癒されたことか・・・
どんなに偉くても、どんなにお金があっても、
決して癒されないことは多いと思うんです。
でも、私たちは例えどんなに辛いことがあっても、
例えどんなに嫌な出来事が続いても、
いつもケンケンに癒されていました。
ケンケンありがとうね。
いつもいつも、ケンケンに癒されていたんだね。
この写真は、2003年1月、雪の丘の上で撮影しました。
ここは、ケロウナ市のダウンタウンから北に広がる
ノックスマウンテン州立公園です。
ちょうど、雪が降った後、ケンケンを連れて散歩に行った時の写真です。
写真は、2003年1月のものなので、ちょうど8年前です。
この冬は、よくこの公園に散歩に出かけました。
避妊手術の後、ケンケンが太り気味になってしまったので、
ダイエットしなければなあ、と考えていました。
しかし、ケロウナの夏は直射日光がきついので、ケンケンはなかなか
歩いてくれませんでした。
その替わり、冬になると元気に駆け回るのですが、
特に雪の上を走り回ることが大好きでした。
冬の間に、ダイエットを兼ねて、雪の上を走らせていた頃を、
つい昨日のように思い出します。
ケンケンが生まれ育った長野の雪と違って、
ケロウナの雪は、ふかふかのパウダースノーです。
ケンケンが走り出すと、粉雪が舞います。
空中に舞い上がった粉雪が、冬の太陽光線を受けて
キラキラと小さな輝きを、いくつも作り出していました。
ひとしきり雪の上を走り終えて、満足したケンケンが
丘の突端に向かっていきました。
そこから先は崖です。
「ケンケーン! それ以上行ったらダメだよー」
と叫んだときに、振り向いたケンケンを撮影しました。
犬は方向感覚に優れています。
特に和犬の感覚は洋犬を凌ぐといわれています。
ケンケンは、自分の家の方向が分かっていたので、
高台になっている丘の突端から、家を確認したかったのでしょう。
私たちがケンケンを呼ぶと、再び全速力で駆け戻ってきました。
「もう満足したよ! 早くお家に帰ろうよ!」
ケンケンは、私たちにそう言うと、とっとと雪の坂道を下っていきました。
それにしても、この写真を撮影したときのことは、
今でもよく覚えていますが、日付を見たら・・・ 8年前なんですね・・・
ケンケンがいてくれて、普通に幸せだった日常というのは、
過ぎ去ってみると、一瞬のことだったように感じられます。
この写真は、2005年7月2日の写真です。
毎日の散歩は、ここから始っていました。
私たちとケンケンは、1999年3月にカナダに移住しました。
移住先は、ケロウナという町でした。
バンクーバーから車で4時間半ほど離れた町です。
ケロウナには、10年4ヶ月間住んでいたことになります。
そのケロウナで、9年間住んでいたのが、湖畔沿いのコンドミニアムでした。
高齢者が多く住んでいたコンドミニアムだったので、
建物内部や敷地内は、とても静かでした。
ケンケンと散歩に行くときは、エレベーターで1階ロビーに下ります。
裏口から外に抜ける通路を出ると、公園の広場に出ます。
ケロウナの湖畔公園の入り口が、家の目の前にあるんです。
その公園の入り口となる広場には、白いイルカの噴水があります。
この写真は、その広場の風景です。
春、夏、秋、冬・・・
季節ごとに、空の色合いや、木々の色合いが変わります。
冬は雪が積もっています。
でも、丸9年間・・・
ここに住んでいたんです。
そして、毎日、散歩に行くときには、必ずここを通りました。
白いイルカの噴水の横を歩いて・・・
あるときは、湖畔公園の中に向かって行き、
あるときは、図書館の方向に向かって、ケンケンの大好きなカフェに行き、
あるときは ・・・・・・・・・・・
ほんと、何気なく撮った写真なんです。
別に大したことの無い毎日の普通の光景でした。
毎日、毎日、毎日・・・
当たり前のように、この景色がありました。
その景色の中に、ケンケンがいました。
当たり前だと思っていたあの景色・・・
ケンケンの歩く姿・・・
私たちの人生の中で、一番穏やかで幸せだった毎日の風景です。
この写真は、2005年11月11日に撮影しました。
ケンケンお気に入りの散歩の途中に立ち寄っていたカフェです。
ケロウナに住んでいた当時、ケンケンが散歩の途中で
いつも行きたがったカフェがありました。
そのカフェは、優しく穏やかなカナダ人のご夫婦が経営していました。
ご夫婦は大の犬好きでした。
そもそも、このカフェに立ち寄るキッカケになったのが、
このご夫妻の心遣いでした。
ある日、いつものように散歩をしているとき、このカフェの前を通りかかりました。
たまたま、外に出てきた奥様が、
「あら!とても可愛いワンちゃんね! ちょっと待ってて!」
と言って、犬用のビスケットを持ってきてくれたのです。
ケンケンは大喜びでビスケットを食べました。
なんか、貰うだけ貰って、そのまま帰るのも悪いし・・・
という日本人的な思いに至り、せっかくだから、と言って
そのカフェの外のテーブルでコーヒーを飲むことにしました。
その日から、私たちとケンケンがこのカフェの常連になったのでした。
散歩の途中、
「ケンケン!カフェに行こうか!」
と言うと、もうそれはそれは大喜びで、妻が握っていたリーシュを
凄い力でグイグイと引っ張っていきます。
そう、カフェの方向にです。
そしていつものようにカフェの外のテーブルに座り、
私たちはコーヒーを注文します。
ケンケンは、カフェの入り口の扉を、じーーーーーーーーっと見ています。
しばらくすると、カフェの御主人か奥様が、ビスケットを持ってやってきます。
ケンケンは尻尾をガンガン振って、そしておいしそうにビスケットを食べます。
最初のころは、1つだったビスケットが、いつの頃からか、2つ、3つと増えていきました。
「ケンケン! ダメ!もう食べすぎ!」
と私たちは注意するのですが、ケンケンはもっと食べたがるのです。
カフェの御主人と奥様も、ケンケンの哀願するような目に負けてしまって、
ついつい、ビスケットをあげてしまって・・・
ケンケンはとてもこのカフェが好きでした。
いつもビスケットをくれる優しいご夫妻に可愛がってもらって。
でも、そのせいでダイエットが必要なくらい太ってしまったのですけれど。
2008年だったと思います。はっきりとは覚えていませんが・・・
そのカフェが売りに出されて、別のオーナーに代わってしまいました。
お店の形態も、気軽なカフェから、ちょっと小洒落たカフェレストランになり、
ケンケンを連れて気軽に立ち寄るお店の雰囲気じゃなくなってしまいました。
それ以来、そのカフェの前を散歩で通るたびに、
ケンケンは、
「あーーあ、前は良い店だったのになあ・・・」
と、ちょっと寂しそうにお店を眺めていました。
今、振り返ると、暇な時間を見つけては、午前、午後、夕方、を問わず、
ケンケンを連れて、このカフェに行って、
野外のテーブルでひとときを過ごしていた時間が、
ケンケンにとっても、私たちにとっても、すごく満ち足りた時間だったんだなあ、
って思います。
この写真は、2009年2月に撮影した写真です。
当時住んでいたケロウナの自宅で、私の膝の上にいるケンケンです。
ケンケンは、人に対してしつこくしません。
礼儀やマナーをきちんとわきまえていて、すごく遠慮深いのです。
妻が、私の膝の上に、「よいしょ!」と乗せてくれることが度々あります。
そのときのケンケンは、写真のように黒いまん丸の目でじーっと労わるように
見つめてくれます。
とっても優しい顔と優しい目。
どんなに辛いことがあっても、ケンケンの顔を見たら、
嫌なことなんか、すぐに消えてしまいました。
2011年1月8日。
前日の夜、ケンケンが永眠してから、12時間が経過しました。
永眠した直後に一番気に入っていた毛布で、ケンケンの首から下を
まとってあげていたせいか、体にはまだうっすらと暖かさが残っていました。
でも、もう体が硬くなっていて・・・
あの柔らかかったケンケンの体の感触がどんどん失われていきました。
午後12時。
私と妻は、SPCA(カナダ動物愛護協会)にケンケンを車で運びました。
車に乗るのが大好きだったケンケン。
ドライブが大好きで、小さい時から、とにかく車に乗るが大好きでした。
いつも車に乗るときは、助手席の妻の膝の上がケンケンの定位置でした。
「ケンケン、重いよ! じっとしてて!」
妻はいつも困ったような嬉しいような、そんな言葉をケンケンに投げかけていました。
それなのに・・・
この日のケンケンは、毛布に包まれて、後部座席でした。
でも、顔はちゃんと毛布の外に出ていますから、
本当にすやすやと眠っているようでした。
SPCAに到着し、火葬の手続を依頼しました。
カナダは、動物愛護においては世界トップだと思います。
こうした団体が全国組織として活動をしてくれているおかげで、
カナダには、捨て犬はいませんし、迷子の犬も必ず保護されます。
動物虐待の多い日本と違って、カナダでケンケンと暮らせたことは、
私たちにとって、とても安心できる環境でした。
だから、ケンケンも安全に健やかにカナダで最期を迎えることができたと思います。
SPCAのボランティア職員の女性が、涙にくれる私たちを慰めてくれました。
もう、ここで、この場所で、これがケンケンの体を触るのは最後でした。
その女性は、
「14歳! 14歳には見えない・・・ なんてキレイな犬なんでしょう」
とビックリしていました。
ケンケンはとてもキレイな犬でした。
最期まで、キレイな姿でした。
SPCAを後にした私たちは、自宅に戻り、すぐに外出しました。
ケンケンの散歩コースを歩くためです。
今日から、毎日の日課です。
ケンケンの散歩コースの定番は、5パターンほどあります。
コースの組み合わせにって、20~30コースくらいになります。
この日、私たちはケンケンが一番好きだったロングのコースを歩きました。
ケンケンと一緒に散歩するように、いつもの感じで歩きました。
このロングコースを、ケンケンと一緒に最後に歩いたのは・・・
いつだった・・・?
日にちまでは覚えていませんが、
12月初旬だった、ということが私と妻の同意見でした。
1ヶ月前・・・
たった1ヶ月前は、ケンケンは、まだこのコースを歩いていたのに・・・
午後3時過ぎのことです。
いつもの散歩コースを海岸に向かっていましたら、
ノースバンクーバーを望む方向に大きくてキレイな虹が出ていました。
「虹だ! 虹の橋だ!」
妻は泣き出しました。
インディアンの伝承として、世界中の動物愛好家に伝わる話があります。
『虹の橋』 という言い伝えです。
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現世で人間から愛情をたくさん注いでもらった動物は、天寿を全うすると、
虹の橋を渡って、幸せな世界で新しい生活を始めるそうです。
たくさんの友だちや、美味しい食べ物に恵まれ、
楽しく暮らすことが出来るのです。
でも、とっても気になることがあるそうです。
現世に残っている、優しかった飼い主が悲しんでいる姿を知っているからです。
虹の橋を渡った動物は、飼い主との再会を心待ちにしています。
やがて、飼い主が天寿を全うしたとき、虹の橋の向うから、その動物は
全速力で迎えに行くのです。
そして再会を果たすのです。
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バンクーバーは、1月7日まで曇天模様で小雨続きの天候でした。
昨日、1月8日は薄っすらと晴れ間が覗きました。
でも、バンクーバーの冬を知っている方ならお分かりの通り、
この時期に、虹が出るなんて、有り得ないことです。
海岸沿いの歩道を行き交う人たちも、
口々に珍しい!と口にしながら、写真に収める人も大勢いました。
その虹は、海面から昇り立ち、とても濃くて美しい色をしていました。
ケンケンが虹の橋を渡っている・・・
今、渡っている・・・
ケンケンは飼い主思いで、たったの1度も迷惑を掛けたことの無い
頭の良い、賢い賢い犬でした。
本当に私たちのことを一番に考えてくれていた犬でした。
そのケンケンが、私たちに虹の橋を見せてくれたのです。
季節外れの虹。
それは虹の橋です。
ケンケンがその橋を渡っていく姿を私たちに見せたかったのだと思います。
この写真は、2007年3月に撮影しました。
ケンケンと散歩の散歩のパターンは、大きく分けて2種類ありました。
ひとつは、オシッコやウンコの用を済ませるための散歩です。
この散歩の場合は、一番身近な距離で済ませることが多くて、
特に冬の間は、短い散歩だけになってしまうことが多かったのです。
もう一つは、かなり長い時間をかける場合です。
春と夏、そして秋という良い季節には、できるだけ長い時間をかけて
ケンケンを野外に連れ出すようにしていました。
でも、ずっと散歩し続けているわけではありません。
時には、行き着けのカフェでのんびりコーヒーを飲みながら・・・っていうこともあります。
また、カフェの無いエリアの場合は、水筒にコーヒーを入れて、お気に入りの公園の
ベンチでケンケンと一緒に過ごすこともあります。
長い時間の散歩のときは、ケンケンのおやつを持参していきました。
犬用のクッキーです。
ケンケンは、これが大好物で、食べたくて食べたくてウズウズしているんです。
だから、一目散に私たちが座るであろう公園のベンチや、行きつけのカフェに向かって
すごい勢いでグイグイって引っ張っていくんです。
「もう・・・ 仕方ないなあ・・・」
って思いながら、ケンケンのお目当ての場所に到着して、
私たちがベンチに座ると、この写真のような表情で下から真っ直ぐと見上げてくるんです。
「早く! ちょうだいよ!」
と言っているんです。
ビスケットを取り出すと、後ろ足だけで立ったまま、素早く口にくわえて、
ガブガブガブっと、あっという間に食べちゃうんですよね。
ケンケン用の水も持参していまして、ケンケン専用のカップに水を入れてあげると、
美味しそうに、お水を飲みます。
春から秋の季節は、けっこうこんな調子で長い時間の散歩を楽しんでいました。
そして、いつも決まったように決まった場所で、こうやって私たちを見上げていたんです。
そのせがむ表情に、いつも根負けして、ついつい多めにビスケットを上げてしまいましたけど。
この写真は、2005年4月20日撮影の写真です。
ケンケンが死んでしまった翌日から、摂り付かれたように
今までの写真を一斉に整理しました。
2日間かかりました。
写真はたくさんあるのですが、でも、もっと撮っておけばよかった・・・
と思うばかりです。
よく、妻が私のデジカメで立て続けに撮影をしたことがありました。
パソコンで画像を確認した私は、
「同じような写真ばかりじゃないか」 と言い、
「微妙に表情が違うんだよ」 と妻は言い、
結局、私がダブッたような写真は削除していました。
でも、ああいう写真も全部残しておけば良かった・・・ って思います。
写真を整理していて、ふと気が付いたことがあります。
確かに写真の枚数は多いです。
良い写真、きれいな写真もたくさんあります。
意外と少なかったのは、
・ 私とケンケンの写真
・ 妻とケンケンの写真
・ 私と妻とケンケンの写真
が、少ないのです。
もちろん、あるにはあるのですが、それでも全体の枚数に対して、
ケンケンといっしょに写っている写真は少ないです・・・
それと、もうひとつ、少ない写真がありました。
それは、ケンケンの後姿です。
この写真は、数少ないケンケンの後姿です。
でも、不思議です。
ケンケンと毎日のように散歩するとき、リーシュにつながれたケンケンが
私たちの前を歩いていきますから、残像としてのケンケンの後姿は
今でもはっきり見えるんです。
まるで、3D映像のように・・・
早足で、テクテクテクテクと歩いていくケンケンの後姿・・・
いつも立派に尻尾が巻いていたケンケンの後姿・・・
毎日見ていたケンケンの後姿の写真が、本当に極端に少ないんです。
雨の日も、雪の上も、天気が良い日も、毎日ふつうの日課だった光景。
いつも目の前に見えていたケンケンの後姿が、ほんとに懐かしいです。
この写真は、2001年11月に撮影したケンケンの後頭部です。
ケロウナに住んでいた当時、自宅のコンドミニアムから一歩外に出ると、
そこは、オカナガン湖畔公園の入り口広場でした。
白いイルカの噴水は、ケロウナを代表するスポットで、湖から引かれた水が
湖畔公園の中に運河を形成しています。
この運河には、通年でカモが生息してます。
野生動物の保護を徹底しているカナダでは、こうした野生動物が日常生活
の中のいろいろなシーンに登場し、人間との距離感が近いものになっています。
ケンケンもそうでした。
いつもの散歩コースに、いつものようにカモたちがいました。
私たち人間には分からなくても、ケンケンには分かっていたはずです。
「あ! いつもの彼だな」
という具合に、気になるカモがいると、立ち止まってじーっと見つめていました。
「おっ! いつもの白い奴だな!」
って、カモたちもケンケンを認識していたと思います。
だって、こうしたことが、10年間も毎日のように続いていたのですから、
ケンケンもカモも、お互いの存在に気が付かないわけがありません。
ケンケンはカモに近づこうとはしませんでした。
カモたちも、最初は警戒していました。
やがて、お互いに警戒感がなくなり、
同じ公園を愛する者同士として、普通にすれ違うのが当たり前になりました。
2009年7月、私たちはケロウナからバンクーバーに引っ越しました。
ケンケンが最後にこの公園を散歩したのは、
2009年7月7日の午前中でした。
お昼頃、私たちとケンケンは車でバンクーバーに向かいました。
ですから、午前中が最後の散歩だったのです。
ケンケンは、私たちの会話が理解できる犬でしたから、
「ああ、これでこの公園とお別れだなあ・・・」
って、そういう思いを抱いていたはずです。
でも、カモたちはそれを知りませんでした。
「そういえば、最近、あの白い奴を見かけないよなあ・・・」
オカナガン湖畔公園のカモたちは、きっとそう思っていたのでしょう。
この写真は、2009年2月に自宅で撮影しました。
ご飯を食べたあとは、満足気でリラックスして、こんな感じでした。
当時12歳でしたが、毛並みもキレイでふさふさでした。
ケンケンが死んでしまった2日前に、病院で点滴を受けました。
10日以上、何も食べていなかったので、衰弱して体力がなくなっていました。
でも、点滴を受けたケンケンは、すこし元気を取り戻したようでした。
ゆっくりですが、歩く速度が早くなったようでした。
点滴で楽になったのは、たった1日だけでした。
2日後には、もう息をしてくれなくなってしまいました。
1週間前。
1週間前の今頃の時間は、まだ家の中にケンケンはいました。
いつもの場所のケンケンの寝床で眠っていました。
私と妻は、点滴が効いていると信じていて、安心していたのですが、
でも、もしかしたら、ケンケンはとっても辛かったのかもしれません。
今、いつもの場所のケンケンの寝床に、ケンケンはいません・・・
私たちのベッドの横に、ケンケンの寝床があります。
夜中に、ふと目が覚めて横を見ると、ケンケンが寝ている姿を何度見たことか・・・
でも、もうケンケンはいません・・・
当たり前のようにケンケンがいてくれたこと。
ケンケンがいることが普通だった日常の暮らし。
当たり前だった日常から、ケンケンがいなくなってしまっただけで、
空気も景色もぜんぜん違って見えます。
14年3ヶ月。
ケンケンと一緒に暮らした日々は、あまりにも幸せで
あまりにも楽しくて、そんな日が繰り返し繰り返し続いていました。
ずっとずっと当たり前だった暮らしが、突然変わってしまいました。
過去には戻れないということは分かっているのですが・・・
でも、あの頃の生活が愛しくて、懐かしくて。
私たちの日常の生活の中に、ずっと一緒にいてくれたケンケン。
クリスマス頃から、大好きなご飯も食べられなくなって、
きっと苦しかったと思います。
きっと辛かったと思います。
それなのに、
「がんばれ!ケンケン!」
「元気になれるよ!ケンケン!」
って、言い過ぎたね。
ケンケンは、いつも私たちの期待に応えてくれたし、
言いつけや約束は必ず守ってくれていたよね。
「がんばれ!がんばれ!」 って言うものだから、
ケンケンは、がんばらなきゃ!と思ったんだろうね。
もう、がんばれない体だったのに、無理させちゃったね。
ごめんね、ケンケン。
ケンケン、もうゆっくり休んでいいんだよ。
2011年1月7日 夜9時。
ケンケンの息遣いはこの日、私と妻の目の前で終わりを告げました。
いつか、この日が来るってこと、ケンケンと出逢ったときから覚悟していました。
その日が来たら、どうしようもない悲しみと辛さに襲われるだろうってことも。
だから、私たちにとってケンケンが最初で最後の家族にしようって決めていました。
もう二度と犬は飼わないって決めていました。
あの日。
ケンケンが死んでしまったあの日のこと。
今でもはっきり覚えています。
夕方から、ケンケンの目は瞳孔が開いたまま、瞬きをしなくなりました。
息遣いがどんどん荒くなっていって・・・
「ケンケン! 瞬きして! ばちぱちして!」
ケンケンのまぶたを下ろそうしても、いくらやっても、瞬きをしてくれませんでした。
あんなに可愛くて、黒くて丸い目だったのに、もう焦点があっていないんです・・・
もうダメなのか・・・
私たちが覚悟をしたとき、ケンケンはお尻から真っ黒いウンコを排泄しました。
お腹の消化器官は、もう機能していなかったことを、このとき知りました。
次の瞬間でした。
ケンケンの目がいつもの目に戻りました!
ぱちぱち! ぱちまち!って、いつものように瞬きをしてくれます!
丸くて黒い目も、いつものケンケンの目に戻りました!
「やった! 治った!」
「ケンケン!がんばれ!必ず元気になれるよ!」
ケンケンは、いつもの丸い目で、私をじーっと見つめていました。
瞬きもしていました。
あっ!
そのとき、私にはケンケンの声が聞こえました。
はっきりと聞こえました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ケンケン・・・」
ケンケンは、私がその言葉を理解したことを確認したかのように、
大きく溜息をつきました。
疲れたような溜息でした。
そして、ふたたび苦しい表情に戻り、瞳孔が開き・・・・
くうーん
くうーん
くうーん・・・・・・・・・・
ケンケンはとてもキレイ好きでした。
家の中でウンコやオシッコは絶対にしませんでした。
それは、ケンケンが私たちとずっと交わしてきた約束でした。
ケンケンは、
いつも、約束を守ってくれました。
いつも、私たちの役に立とうと頑張ってくれていました。
いつも、私たちに迷惑を掛けないって頑張ってくれていました。
いつも、私たちの味方でした。
いつも、私たちを応援してくれていました。
いつも、私たちを心配してくれていました。
そのケンケンが、最期の最期に寝床に排泄してまで、
苦しくて辛いのに、正気に戻ってまで、
私たちに伝えてくれたメッセージ・・・
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今まで本当にありがとう!
ボクが逝っても悲しまないでね。
きっとまた会えるから!
必ず会えるから!
でもね、それはカナダじゃないよ。日本だよ。
だから、悲しまないでね。
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おわり